Sattokun’s diary

元教員 小学生息子を持つパパのブログ

息子の少しずつの成長

 「もう、毎日まったく同じことを言っているのに、全然できないじゃん。」

と、私は怒った。小2の息子に対してだ。風呂での出来事だ。

 

お風呂はまず私が先に入る。湯船につかる時私は本を読む。息子が後から入ってくる。マンガを持ってきて私の横に座って2人で本を読む。

 

私がセットしたタイマーが鳴る。私は風呂からあがり、体を洗い始める。「○○(息子の名前)も上がって体洗おうよ。」と私が言う。

 

息子の返事はない。「おーい、体洗うぞ。マンガ読むのやめよう。」まだ何の返事もない。私はマンガを取り上げる。ずっとこんな感じだった。

 

 去年の終わりごろから「もうそろそろ、声かけられたら自分で風呂あがってこようよ。」とずっと話していたが変わらず、私が怒ったというわけだ。

 

2年生でそろそろ1人で風呂に入ってほしいと思っていたが、まだまだ私が入らないとだめだな。と思っていた。

 

しかし、ここ2,3日、私が一声かけると自分で上がるようになってきた!

 

ここに書くのも恥ずかしいくらい小さな進歩だが、進歩だ。

 

 

息子を学童に迎えに行って家に帰ってから後の生活もそうだ。

 

1年生のころは、家に帰ってからの宿題がなかなか進まず、息子の世話、家事に追われ夜ごはんまでの時間とても忙しかった。

 

しかし最近は時間に少し余裕がでてきた。私が自分の弁当箱や息子の水筒、給食セットなどを洗い、洗濯物をたたんだ後、一息つく時間ができてきた。息子の宿題が早く終わるからだ。

 

息子が水筒や給食セットなど洗うものを出す、連絡帳や手紙を見せる、といったことが素早くできるようになってきたからだろう。

 

そもそも、学童から家に帰るまでの歩く時間が早くなった。私が迎えに行くと息子は走って帰ってくる。私が自転車だからだ。

 

 

 朝も、自分から起きてくる日もある(起きたらすぐゲームをしたいからではあるが)など、寝床でぐずぐずすることはなくなった。朝ごはんを食べるのも、まだゆっくりではあるが、以前よりは早くなった。

 

 

こんなことの積み重ねで、子どもは成長していくのか。と、この文章を書きながら思った。

 

自転車も乗れるようになってきたし。新しいダンスの習い事も、大変そうだが頑張っている。なかなか粘り強い。

 

 

ここ最近私自身が仕事で悩み、苦しんでいた。

 

息子に負けず、私も頑張らねば。

 

3連休が終わる。やれやれ。

 

片付けられない息子・・・マンガが山盛り

 息子はゲームが好きだ。私が今この文章を打っている時もやっている。ゲームをする時間を決め、やらせてはいる。

 

もちろん外に行って遊んでくれたら一番いい。ただ家にいてゲームをしない方法として息子は漫画が好きだからけっこうマンガを買ってあげている。

 

息子は集中してしまうと入り込んでしまう特性を持っている。マンガを読み始めると名前を呼んでもなかなか返事をしない。

 

我々親は自分がやりたいことがある時息子が漫画に熱中してくれると、自分たちのしたいことができるので都合がいいという側面がある。ゲームだとやりすぎは息子にとって

 

 

 

よくないと思うが、漫画なら「本」だからいいと思っている。

 

 

マンガは「ワンピース」や「ナルト」、「鬼滅の刃」「妖怪ウォッチ」「金色のガッシュ」などである。

 

ワンピースはもう全巻そろっている。他のマンガもそろってきている。ワンピースは100巻以上あるから冊数はそうとう多くなってきた。

 

上に書いた理由で本を読んでいてほしいのでどんどん買っていたらかなりマンガがたまってきてしまったのだ。

 

 そして、多くなったがゆえに、そのマンガの片付け問題が浮上するのである。

 

私が整理をして本棚にしまっていないと、本棚の前に漫画が山積みになり、それが広がり、リビングの一角が漫画だらけになっている。

 

たまに片付けさせるが、3日も経てばまた元通り。

 

今日はうちのマンションの消防点検だったので部屋の中をきれいにするため散らばりまくっているマンガを私が片付けた。

 

すると、もう一部のマンガが今の本棚に入りきらなかった。しまった、買いすぎた・・・。

 

でもまあ、捨てることはしないだろう。またいくつか場所を整理して、今のマンガが入りきるスペースを作ろうと思う。

 

 

私も、妻も本が大好きで、いつも読んでいる。息子も声を掛ければマンガだけでなく活字の多い本も読む。

 

息子は今小2だが、難しい漢字を読むことができる。たくさんマンガや本を読んでいるからだと思う。

 

マンガだって、日本が世界に誇る文化だ。私もドラゴンボールスラムダンクを読んで大人になった。そして今は本が好きだ。

 

今は読書が何か実を結んだ、ということがあるわけではないが、いつか本が好きであることは役に立つと思っている。

 

 

さて、漫画の片付け問題だが・・・

 

私が小学生のころ、私は親に学習机を買ってもらっていた。本当に感謝だ。

 

しかし小学生時代、私がそこで勉強したかというと、全くそうではない。まさに「もの置き場」だった。

 

何がおいてあったかよく覚えていないが、おそらく漫画やおもちゃなどが山盛りに積まれ、勉強などおよそできない状態だった。

 

もちろん母親から「片付けなさい」と言われたと思う。しかしあまり片付けた覚えはない。そこで勉強するようになったのは中学生のころからだ。

 

 

息子はまだ2年生。自分のことを思い出すと息子にマンガを片付けられないことをなじることができない。人は少しずつ、少しずつ大人になっていくのだ。

 

これからも、息子のできてない点が目に着いたら、自分は子どものころどうだったがを考えて見ようと思った。

 

 

暮らしは音楽とともに 息子とカラオケ

  私はかつて小学校教員だった。

 

私が教員をしていた地域には音楽会がある。学年全員で歌を歌ったり楽器の演奏をする。音楽会では私は子どもの歌や演奏の指揮をするのが好きだった。

 

音楽会で弾くほどピアノが上手ではない。すると担任の役目は自然と指揮をやることになるというのがもともとのきっかけだ。

 

特に歌の指揮が好きだった。「指揮者が子どもたちの歌を作っていくんだよ。」と先輩の先生に言われたのを覚えている。

 

通勤の車の中で、課題曲のCDを流し、曲を覚え、どういう風に指揮するかを考えた。

 

NHKの歌のコンクールもテレビで見て勉強したりもした。

 

市内音楽会には、2つの市で合計5回も出た。

 

 

コロナの時は、「歌」は飛沫がとぶということで、ほとんど歌えなかった記憶がある。音楽会も器楽だけになった気がする。

 

 普段の学校では「音楽朝会」というものがある。全校で1つの歌を歌うのだ。

 

コロナの時はそれが無くなった。みんなが集まることを避けたから、そもそも普通の朝会もなくなった。音楽の授業で歌も歌えなくなった。

 

 

学校から子どもたちの歌声が消えたのだ。混んない寂しいことはなかった。今は元に戻り、本当によかった。

 

 

 昨日、妻と息子と3人でカラオケに行った。カラオケは週末3人でよく行く。

 

最近私が仕事でうまくいかないと感じていて、ストレス解消で行きたいと思っていた。

 

私は昔の歌を歌う。妻と息子は今流行っている歌を歌う。

 

小2になりだんだん音が取れるようになってきた息子。よく歌うのは「怪獣の花唄」や「ライラック」。「怪獣の花唄」はだんだん上手になってきた。「ライラック」は序盤の音が低くて歌いにくそうだ。

 

採点モードにして歌い切るので、堂々としたものだと思う。「やったー!85点だ!」とか言っている。私は若いころ恥ずかしくて人前で歌うのが嫌だった。私に似なくてよかった。

 

 教員だった頃、音楽専科の先生が病気で出勤できず、音楽の評価を取るために私が4年生3クラスの全員1人ずつ、歌を歌わせてテストをしたことがある。

 

テストは、音楽会が終わった後に音楽会の曲で行われた。

 

音楽会までの練習はほぼ学年全員で歌うので、1人1人が歌う声を聴くのは新鮮だった。

また、全員での歌は練習と共にと1つの声になっていくが、1人1人だとこうも歌い方が違うのかと思った。

 

意外な子が上手だったり、音が取れていない子が意外と多かったりと、驚きの連続だった。

 

人は一人ひとり個性にあふれ、それぞれが全く違う存在だ。しかしそんな子どもたちが1つの歌を練習して心を1つにし、1つの大きな声になる。その練習の課程が感動的だ。

 

そうして練習して仕上がった歌を聴くのも、また素晴らしい。子どもの歌は宝なのだ。

 

カラオケに行って、私は少しすっきりした。歌いたい歌を歌えた。家に帰ってからも歌った。若いころ聞いていた曲ばかりだ。

 

XJAPAN スピッツ、ドリカム、サザン、キロロ、・・・たくさん聞いて、歌った。歌の隅々まで覚えていて、血のように体を流れている歌だ。

 

聞いていたころの自分が頭によみがえる。久しぶりに歌をたくさん聞いた。よし、これからは普段から音楽をたくさん聞くことにしよう。歌と共に暮らすのだ。今歌っている、聞いている歌が、私の血になるのだ。

 

そうすれば、いつの日か「怪獣の花唄」を聞いたら、今の思い出が未来の自分によみがえるのか?

 

 

いや、「怪獣の花唄」は、息子の声でしか聴いたことがないや。

 

 

 

 

 

 

息子のダンススクールが決まった。

  先週の土曜日と昨日、息子のダンススクールの体験に行った。

 

息子はダンスが大好きで、去年の10月まで1年間通ったダンス教室が、先生の仕事が忙しくなり辞めてしまったため、次のダンス教室を探していた。

 

囲碁の教室にも何回か通ったが、息子が休みの日に体を動かす方がいいのではないかと我々は考えた。なにせ休日はこちらが何も言わなければ家でゲームするか漫画を読むかだ。

 

 先週のダンススクールは電車でも行けたが車で行った。1駅くらいの距離だ。民家の中にあった。久しぶりに息子が踊るダンス、生き生きしていた。息子より大きい子もいたが、ついていけていた。

 

1時間、体験が終了していた。息子は最初緊張していて、踊っているうちにだんだん緊張がほぐれてきていた。

 

息子も私たちも、楽しめるにはあまりレベルに差がない方がいいし、今までのダンス教室が生徒4,5人だったので、あまり生徒が多すぎない方が委縮しないと思っていた。

 

少し遠いかな?この場所。そしてやや厳しめのスクールかな?という印象だった。まあ、もう1つ見てみるか。という気持ちだった。

 

 

 昨日、もう1つのダンススクールに行った。こちらも車で行ったが歩いても20

分かからないくらい。まあ、2つ見学すれば、比較対象ができるから決めやすいだろうと思った。

 

プレキッズというクラスで、息子と同じくらいの子どもが10人ほど。仲良くなれそう。

 

始まると先生が息子をみんなに紹介。

 

先生を手本に踊り、息子はついていく。その後生徒たちの動きを確認。そして息子に「できたね~上手」とお褒めの言葉を掛けてくれた。うーん、ありがたい。緊張しているだろうから、嬉しいだろう。

 

1時間のレッスンで、一緒に受けている男の子としゃべるようになっている。息子に笑顔が見える。

 

レッスン終了後、先生が我々に近づいて声を掛けてくれた。何と、次に1つ上の「キッズクラス」でもいいですよ、と。そちらに入った方がより上達しますよと言ってくれた。時間があるならそちらも体験してみてはと誘われる。

 

レッスン室に大きい子たちがどんどん入っていく。息子は委縮しないか?すると先生から、さっき一緒にレッスン受けた子たちの一部は、2月からキッズクラスに上がるとのこと。お、これはいい。

 

 息子を認めてくれ、我々にも気を配る先生。息子に「キッズクラスの体験どうする?」と聞くと「やる!」

 

私の気持ちは決まった。ここに入ろう。息子を認めてくれる先生がいる、なんと素晴らしいことか。「できるよ」と言ってくれる先生がいる。何て幸せなのか。

 

「キッズクラス」のレッスンは息子にとってレベルが高く、速さについていけなかった。でも一生懸命。

 

「キッズクラス」の生徒数は30名ほど。とても多いが、私は先生方を信頼した。

 

終了後、先生たち(プレキッズとキッズの先生2人)は何度も何度も息子のことを気にかけ話しかけてくれた。胸がいっぱいになった。きっとこのスクールで息子は成長するに違いない。信頼できる先生に出会えて、本当によかった。これからが楽しみだ。

 

 

 

息子の成長を実感した

 今日の午前中は、先週に引き続き、小学2年生の息子の生活科「あしたへジャンプ」の宿題を手伝った。

 

 息子が私たち親に自分の赤ちゃんの頃のことをインタビューしてワークシートに書くという宿題だった。 

 

「あなたは赤ちゃんの頃はベビーベッドに寝ながら手をぶんぶん振り回して、見えない敵と戦っているようだったよ。」「え、何それ~書くの恥ずかしいよ~。」

 

「生まれた時から戦うのが大好きだったよ!」「えーそーなんだー。」などとやりとり。息子はワンピースが大好き。ポケモンも好き。

 

「寝返りは、いつしたんですか。」「えっと、3か月くらいで。」「赤ちゃんのころは、寝返りがなかなかできないんだぞ。」「えー何で?」「だってそんな力もないんだよ。」

 

話していて楽しい。そして息子が初めて寝返りをした日の動画を3人で見た。私も見たのは久しぶり。体をねじっている自分を見て「うおー、なんか一人でコブラツイストくらってるみたい!」息子のすごい感想。

 

 息子が小さいころの写真や動画も見た。昔スマホで息子の写真を撮りすぎた。絶対なくならないでほしいと、グーグルのクラウドに月ごとに整理してアップしていったものだ。

 

息子、小さいころは声が高かったな~とか、こんなにかわいかったのかー、とか、いろいろ思った。無事に今まで順調に育ってきたことを実感した。

 

通知表って何だろう 私のこだわりと迷い

  私は小学校教員をしていた。

 

心を痛めて突如辞めることとなり、今は別の仕事に就いている。

 

ちょうどそのころ息子は小学校1年生。保護者の視点から学校教育について考えるようになった。それまでは中から見てたものを外から見るという感じだ。

 

そうすると、学校では何が行われているか、とか、学校で息子は何をしているのか、意識していないとよく分からないものだと思った。

 

 学級担任は毎学期通知表を作る。その苦労は教員でなければ分からないだろう。そして、息子が通知表を持って帰ってきても、一通り読んで見てはいたが、それ以上のことは特にしなかった。

 

 

去年2年生の2学期が終わり、息子が通知表を持って帰ってきた時、息子は喜んでいた。成績が上がったというのだ。

 

国語、算数が良くなったのだ。いわゆる「できる」から「よくできる」になっている項目が多かったのだ。

 

しかし、その他の教科はすべて「できる」のまま。私は思い立ち、息子に「もう少し通知表が良くなるようがんばってみない?」と持ち掛けた。息子は「うん」と頷いた。

 

 

 今日、息子の宿題で、生活科の調べプリントを手伝った。息子が自分の小さいころについてわれわれ両親にインタビューをしてプリントにメモするのだ。

 

例えば自分が保育園に行っているときに好きだったもの、初めて行った旅行、生まれて初めて歩いた時の様子などだ。

 

 息子はこういう聞いて書く、といった作業があまり得意ではない。特に文を書くのがなかなか進まない。「あー、めんどくさいー。」「はやくゲームしたいー。」と言っている。

 

きっと学校でもこういう感じなんだろうな、と思った。学校で評価されるのはテストだけではない。この生活科のプリントのような「ワークシート」も学習の成果物としては大切だ。

 

ワークシートには、その学習で思ったこと考えたこと、調べたことなどを書く。文章を書く枠は、たくさん文量を書く子のためにやや大きめだ。息子はきっと、文章は少なく書いて提出しているだろう。

 

 今日、生活科のプリントは、調べたことを枠の一番下の行まで書くよう息子に言った。「えー、何で?」「疲れたー!」などと不満の連発。

 

「いや、これを頑張れば、通知表の『よくできる』に近づくんだよ!」と私。しかしそれは定かではない。教員が何をどう評価するか、私が分かっているわけではない。

 

しかし、ワークシートの文章を「この程度でいいや」と息子がいつも少な目に書いているのなら、それは直したい。私はこだわった。

 

息子が時々持って帰ってくる「読書の記録」も、息子は本を読んでもなかなか書かない。これもワークシートの一種で、妻がいつも繰り返し書くよう息子に声を掛けている。

 

 こういうのを息子が進んで書くようになれば、通知表の成績も上がるかも?と気にし出したらすごく気になってきた私。

 

ああ、私はこれから息子に対して「通知表がー!」としつこく言う父親になるのか?

 

 

 私が教員時代、通知表を渡すと、成績に一喜一憂する子どもたちがいた。私はあまりに成績を気にする子たちを見ると、それもよくないな、と思っていた。

 

学校の成績がその人の勝ちを決めるということはない。まったく気にしないのもよくないが、成績のことで落ち込みやる気が無くなってしまうのでは元も子もない。

 

評価というものは、次への頑張る励みになるといいものだと思う。だから、息子にはこれまで通知表のことをどうこう言わなかった。

 

ところが!私はすこしくどくど言い始めてしまった。言い過ぎると息子が通知表を気にしすぎたり、逆に「もう言わないで!やりたくない!」とか言ってやる気が下がったりしてしまうかもしれない・・・。

 

しかし2学期末に成績が上がった時の息子の喜んだ顔も忘れられない。どう声を掛けていくか、迷う。

 

自信はだれでも大事

 3連休でとても嬉しい。

 

小2の私の息子は先週3学期が始まり、2日間何事もなく過ごしたようだ。

 

 2学期の通知表が帰ってきた時、1学期より少し良くなっていた。冬休みの間、さらによくなりたいか聞いたら「うん」と言っていた。

 

本人がそう思った時がチャンス!と、私はいろいろ仕掛けをしていこうと思った。

 

 

冬休みの間、私は息子の自転車の運転の練習に付き添った。

 

息子は怖がりだし、自転車は少し大きめなので持ち運びが本人にとって重くて難しそう。すこしぐらつくと「重たいよ~。」ペダルに足がぶつかり「痛い~!」といつも大騒ぎだった。

 

しかし子どもとはすごいものだ。少しずつ少しずつ乗れるようになっていった。

 

こぎ出しがふらついて難しものの、スピードに乗れば私がハンドルを放しても運転できるようになっていった。そして昨日、ついにこぎ始めからブレーキで止まるまで1人で運転することができた。

 

「ただいまー。お母さん、自転車、1人でけっこう乗れるようになったよ!」家に帰って妻に報告する息子。とてもうれしそうだ。

 

とはいえとはいえ、人通り、車通りがとても少ない道路。それでも民家の壁や駐車場の車に絶対ぶつからないように、もしもの時にはハンドルを私が握ってコントロールできるようにぴったりと並走していた。

 

彼が大人になったらいつか「お父さんのおかげで自転車に乗れるようになったんだぞ」とでも言ってやりたいところだ。しかし今のところは、「ずいぶん早くのれるようになったな。びっくりだ。」と、褒めて自信を持たせるようにした。

 

まだカーブを曲がるとか、障害物をよけるとか、色々な課題がある。私の出番はもう少し続きそうだ。

 

 

もう1つ、今日は囲碁の習い事があった。久しぶりだった。

 

昨日、「久しぶりに囲碁やりに行くから、お父さんとちょっと練習しとこうよ。」と誘った。

 

すると、1ゲーム目は私の勝ち。わたしはほぼ素人。初めて囲碁教室に息子と行って、ルールを知り、興味を持って入門書を読んだ程度だ。

 

自転車と違い囲碁については息子はやけに自信を持っているように見え、私には勝てると思っている節がある。負けて悔しそうで、しかも「こうすればいいじゃん」みたいなアドバイスを嫌がる。

 

そして2ゲーム目、私は途中大量リードをし、息子は嫌になってやめて立ち去ってしまった・・・。

 

その夜、息子と一緒にお風呂に入った時、私は自転車の話を息子に持ち出した。「いやー、練習してもうだいぶ乗れるようになって、本当にすごかったな~。」と。

 

「2学期始まったけどさ、体育とか音楽とか、これからはもっと練習すれば、通知表もよくなるんじゃない?自転車だって、こんなに早くできるようになったんだから。」

 

ゲームばっかりやらないでさ、とは言いたいが言わず、うまくいって嬉しそうだった自転車のことで自信を持たせようとした。「うん。」と息子。

 

「走る練習だってもっとすれば、足も速くなるんじゃない?」「うん」

 

息子の様子を見ると、囲碁で負けていて途中でやめてしまったことを悪かったと思っているようだった。いつもより少し神妙で、少し素直だった。「お風呂あがったら、もう1回囲碁やる?」

 

「うん。」

 

風呂からあがった後の息子の着替えと歯磨きはいつもよりとても早かった。一勝負し、ここは息子の勝ち。

 

今日の囲碁教室は先生たちに1対1で教わり、息子は悪い手をはっきり先生に行ってもらいながら何回も練習対局していた。

 

その先生との練習対局が終わる時、「先生と何勝何敗だった?」「え?えーっと・・・」「3勝2敗、君の勝ちだ!」勝ったと聞いて嬉しそうだ。すばらしい、いい先生だ。言うべきことは言って、最後花を持たせる。人を育てるって、こういう事かも。

 

午後用事があり妻と妻の実家に行っていた息子。先ほど帰ってきた。1日の制限時間も無視してゲームをする息子に今「ねえ、お父さんそろそろブログ書き終わるから、そうしたら囲碁やらない?」と聞いた。すると、

 

「やる。」

 

おー、よしよし。彼の自信を打ち砕かないように気を付けながら、やってやるか!