Sattokun’s diary

元教員 小学生息子を持つパパのブログ

四字熟語?!

 先日、こんなことがあった。

 

 

 わたしは小学校1年生の息子と毎日お風呂に入る。

 

そこで毎日会話をするのだが、息子がたいがい「ねえ、○○バトルしようよ。」と私に言う。

 

お互いに架空の強いバトルキャラを作り、お話して必殺技を出して戦うのだ。

 

それは必ず息子のキャラが勝つ。

 

私はあまり面白くないし、そういう話題だけではない方がいいと思っているので、何か話すことはないか、考えた。

 

そして、私は「ねえ、学校の音楽会って、何歌うの?演奏とか?」

 

と聞いた。すると、「『ともだちになろうよ』と、『子犬のワルツ』。」

 

私は教員をしていた。子犬のワルツ、なつかしいな~。音楽会、参加したいな~。と思った。

 

「子犬のワルツ、弾けるようになってきたんだよ。あの短いやつでさ、お父さん。」

 

ああ、あれか。鍵盤ハーモニカは、弾く時息を入れるためにチューブか、もしくは短い吹き口を使うが、短い方でも弾けるようになったようだ。

 

「見なくても、手で覚えて弾けるんだよ。大事なのは、ボンジテッテイ、だよ。」

 

 

 

なぬ!? 凡事徹底!? いきなり四字熟語!?

 

私はあまりに驚き笑いがなかなか止まらなかった。しばらく笑ったその後、息子に聞きたくなった。

 

「ねえねえ、凡事徹底って、どういう意味か知ってる?」

 

「え? 当たり前のことを、当たり前にすること。」

 

うーん、たぶん合っている。繰り返すが息子は小学1年生だ。どういうことだ。

 

「凡事徹底って、誰が言ってたの?担任の先生?」

 

「校長先生。」

 

あー、なるほど。校長先生が朝会か何かで言っていたのだろう。そういえば、校長先生は運動会のあいさつでも、四字熟語を言っていたかもしれない。

 

鍵盤の練習を、当たり前に、一生懸命やったらできるようになった、ということが言いたかったのか。

 

この話を、校長先生がもし知ったら、喜ぶだろうな。小学校低学年の間は、担任の先生の影響が強いのが一般的だ。

 

 

風呂からあがり、思わず妻にも報告。

 

「すごいね。」と妻は軽く共感。

 

しかしその後すぐ、「じゃ、私もお風呂入るから、寝る前にかならず歯磨きするように言っておいて!」

 

 

素知らぬ顔で漫画を読んでいる息子。息子が凡事徹底するべきこと、まだまだ多し・・・。

 

息子と私の音楽会

 先日、1年生になる息子の音楽会を見ることができた。

 

私はついこの間まで教員だったが、辞めた。

辞めるなんて、思ってもみなかったが、辞めてから本当に気が楽になった。

 

息子の入学、そして辞表の提出ということになったが、休みが取れる仕事に代わり、行事に参加できるようになり、それぞれ待ち遠しかった。

 

自分のしていた仕事と子育てを重ね合わせて各行事に参加するのが、自分にとって、何とも感動的だ。

 

 

 

この日、自分の息子の出番の音楽会は午前11時から。

 

運動会の時は、妻と学校に歩いて行く間『見に行く人にあまり会わないなあ』と思っていたが、今回は・・・

 

やはりあまり会わない。妻と二人で???と思っていたが、

 

10時30分開場というスケジュールで、10時過ぎに着いたところ、体育館の前はなかなかの行列。

 

「すべて来年度の自分たちに引継ぎだね」と、この学校初心者の我々。

 

子ども達は1学年2クラスごとに歌と演奏をする。1年生から順番に6年生まで、全体で1時間程度だ。

 

子ども達は自分たちの出番だけ教室から体育館に来て、終わったら戻る方式だ。

 

 

運動会と違い私の子どもの出番は、兄弟がいないので1回のみ。1年生が最初なので、自分の息子の番を見たら、途中で退席し、仕事に行こうとひそかに思っていた。

 

 本番、息子は、朝我々が何とか収めた寝癖が復活した状態で現れた。だが陣取った場所は事前に聞いていた通りの場所。よし、いいぞ。

 

パーカーも片方の肩から少しはだけているな。よし、気が付いて戻した。

 

動画に撮りながら見たが、息子は終始照れくさそう。運動会でもそうだったな。歌は全員の声により一人一人の声までは聴いても分からないが、息子は本番に自分の力を存分には出しきれないタイプだ。

 

 合奏は、息子の話ではオーディションで選ばれてトライアングル担当になったそうだ。大きなミスはなく、無事終了。ふー。

 

 

1年生が終わり、私は少し迷ったが、決めた。やはり6年生まで全部見てから仕事に行くことにした。

 

 

私は教員だったころ、音楽会が好きだった。特に、歌が好きだった。

 

学校の代表のクラスになり市内音楽会にも数回参加した。

 

歌の指揮をするのが、楽しかった。

 

 

息子以外の、2~6年生の歌も聴きたい。そう思ったのだ。

 

 

コロナの際、学校では、歌が歌えなくなった。

 

歌の無い学校は、本当にさみしいものだ。

 

音楽は、人の心を豊かにすると、思う。

 

この日、学年が上がるごとの歌を、私は堪能することができた。

 

 

低学年は元気で、明るい歌声。3年生~は、声の重なり、2部合唱・・・だんだん難しくなり、そして声の美しさ、深みが出てくる。

 

6年生は男子が低音の声になり、歌声を支える。そんな発達段階が、聞いていて楽しめた。

 

特に6年生は、この歌が、6年生を送る会、卒業式につながっていく。

 

保護者として参加すると、見ることができるのは一瞬だが、これまでの長い長い指導の時間を経ての今日だ。先生方に本当に感謝である。

 

教員のころ、歌の指揮をして楽しかったのは、歌を通して子どもと一体となれること。そして、私の指揮によって、歌がよくも悪くもなるということ。つまり、指揮が上手になると、子どもの歌も上手になっていくことだった。

 

ある先生は若いころの私に「指揮で歌を作っちゃってください」と言っていた。文字にすると軽いが、私は指揮で子どもたちの歌を作り上げる、その境地に達したいと思って、日々努力した。

 

 私の大好きだった、子ども達の「歌」。毎年の音楽会で、自分の息子の成長と共にその歌をまだまだ楽しむことができると思うと、幸せだ。

 

雑談って何?

 私の小学一年生の息子は、しゃべり始めると話が長い。

 

例えば自分がやっているゲームのこと。

 

読んでいる漫画のこと。

 

よく見ている動画のこと。

 

漫画は、今はワンピースが好きだ。

 

動画は、マインクラフトの動画をよく見る。

 

「戦い」の要素が入っている話題がとてもとても好きだ。

 

一緒に歩いていて、話してくれるのだが、漫画や動画を見ていない私は、聞くしかなく会話は一方的になってしまう。

 

そこである日、また私に戦いの話を始めようとしたので「ねえ、戦いの話じゃなく、『雑談』をしようよ。」

 

と、私は息子に言った。

 

「雑談って、何?」

 

と聞くので、私は「えーっと、何気ない話だよ。例えば、『いい天気だね。』とか、『今日は昨日より、ちょっと寒いね。』とかだよ。」

 

「うーん・・・。」

 

妻が「あと、昨日学校でしたこと、とかね。」

 

「うーん・・・・忘れた。」と、息子。

 

息子は今、この瞬間に感じていること、考えていることを会話にするのは得意だ。しかし、過去のことを思い出したり、未来のことを想像したりして会話するのは得意ではない。

 

私は息子に対して食い下がり、「忘れたら、思い出せばいいじゃん。世の中の人は、結構そういうことを話題にして雑談するんだよ。」

 

それから、私と妻はiいろんなことを思い出してもらおうと質問をし、息子は少しずつ学校でのことを話し始めた。

 

その日から、息子がゲームなど戦いの話をし始めると、「いや、雑談しよう、雑談。」と言うようになった。

 

音楽会の練習の話、絵が苦手でうまく描けないと思い泣きながら虫の絵を描いた生活科での話、いろんなことを話すようになってきた。

 

 そんなある日、家で妻がふと、「ねえねえ、最近○○(息子の名前)、登校するとき一人じゃいやだって泣き顔になって、私が一緒に行こうか?って言うと『うん』って言うから、踏切の所までとか、学校まで私が一緒に行っているのよ。」と言うのだ。

 

えっ?と私は少し驚いた。息子は順調に楽しく学校に行っているとてっきり思っていたのだ。

 

「ちょっと話を聞いてあげてよ。」と妻に言われ、二人きりになる風呂場で、話を聞くことにした。

 

 「ねえねえ、学校でなにか嫌なこと、あるの?」と息子に聞くと、

 

「うん、ちょっとある。」というのだ。どうやら学童でゲームをしていると、嫌がらせをしてくる子がいるらしい。

 

だが、毎日ではなく何回かだけ。学童の先生も知っているのだそう。私はそれほど深刻ではないと思ったが、息子本人は真剣そのもの。共感しながら聞いた。

 

 

きっと、小学生はランドセルだけではなく、いろいろな気持ちを抱えて家へ帰ってくるのだろう。そんな気持ちを気軽に話すことができるよう、雑談に慣れておくのも大事だと思った。

 

 

 

ダメ出しはダメ

 私はついこの間まで小学校教員だった。息子ができ、小学校に上がるのを本当に楽しみにしてきた。

 

 結婚も、子どもを授かるのも遅く、ようやく子どもができ、家族との生活をとても楽しみにしてきた。

 

だが、職業柄、子どもに対してはしばしば厳しく接するので、家庭内では息子にとって「先生らしくない父親」になろうと昔から決めていた。

 

笑い合い、ふざけ合い、とにかく楽しく過ごそうと思っていた。

 

ダジャレを言い、正義の味方ごっこをし、お互いバカになって遊んだ。

 

もちろん子育てとして彼にいいことをしようとも心がけた。

 

いい言葉、前向きな言葉掛けをたくさんした。

 

毎日、絵本の読み聞かせをした。図書館に行って絵本をたくさんかりた。おかげで私も絵本はまあまあ詳しくなった。

 

息子が自分に自信がもてるように、アスレチックに粘り強く挑戦させた。

 

あまり短所にばかり目を向けず、長所を認め、のびのびと育てたつもりだ。

 

 

そして今年4月、小学校入学。入学式に出ている息子を見て感慨もひとしおだった。

 

これからも、基本的には同じように接していくつもりだが、小学校入学後、わたしは「ああ、しまった・・・。」と思うことがあった。

 

 小学校で担任として子どもを指導していると、どうしても「ここは違うから、こうしなさい」と、ダメ出しをしなければならない時がある。

 

例えば、プリントで引き算の答えが違えば、「違っているよ」と、当然言う。

 

漢字も間違えて書いているのを見つければ指摘する。「この部分がはねていないよ。」

 

跳び箱が跳べなければ、どうしてその子が跳べないかを一瞬で判断し、アドバイスをする。「台に着く手がもうちょっと前だといいよ。」など。

 

他の仕事ををしている人でも「職業病」があるというのを聞くことがある。

 

今年度、息子が小学校に上がって、私は何回かその病気にかかってしまった。

 

息子が、夏休みの宿題をしている時。

 

ひらがなの書き取りの宿題で、息子が一生懸命書いていたが、つい「鉛筆の持ち方がよくないよ。」と言ってしまった。

 

息子は直すが、すぐ元通りになる。「また持ち方が違っているよ。」

 

だんだん私は止まらなくなった。「書き順が違う。」「もう少し大きく書こうよ。」「線が一本足りないよ。」

 

息子は「もう、そんなことばっかり言われると、やんなっちゃうよー!。」と、泣き顔で部屋を出て行ってしまった・・・。

 

『だって違っているからな・・・。」とその時は思ったが、冷静になると言い過ぎたことに気づいた。

 

もう一つは、息子が縄跳びの練習をしている時だ。

 

家族で公園に行き、息子が持って行った縄跳びで跳ぶ練習をしている時。

 

5~6回跳ぶのがやっとの息子。まだまだこれからという時なので無理もないのだが私は、

 

「うーん左右の腕の位置が違うよ。同じ高さにしな。」

「ジャンプがブレている。その場で跳ぼうよ。」

「あごを引いて。」

「引っかかってもあきらめない!」

息子は黙って、私から離れていった・・・。当たり前だ。反省。

 

 

最初に注意点は言うが、結果は「どうだった?」と判断を子どもに任せた方がいいようだ。

 

 

息子と段取りを考えること

 小学校1年生の息子と過ごしていて私がよく感じることは「あの子はいつも、今、この瞬間を全力で感じて生きているな。」ということだ。

 

私は小学校の教員をしていたが、仕事のことでよく悩んだ。

 

悩むということは、自分の過去に捕らわれ、「ああすればよかった。」と思うことだ。また、自分の未来を心配し「ああなったらどうしよう。いやだな。」と思うことでもある。

 

つまり、今、この瞬間にだけフォーカスして生きていれば、悩みはそれほどないのかもしれない。

 

きっと動物は、今だけを感じて生きているのだろう。人間は高度な思考ができるようになった結果、過去の記憶や未来への不安を抱えるようになったのではないか。

 

しかし、大げさに言うと、息子は今、この瞬間だけを感じて生きているように、私には見える。うらやましいとも言える。

 

 

 とはいえ、今のことだけ考えていると、不都合なことも起きる。例えば、彼は計画や段取りが苦手なのだ。(1年生なんて多くの子がそうなのかもしれないが)

 

例えば、休日に今日は車で公園に行くよ。とあらかじめ伝えておく。「うん。」返事はする。

 

30分前くらいに「あと少しで行くよ。」と伝えておく。「うん。」とか言う。

 

でも、「そろそろ行くよ。」と5分前くらいに伝えると「行きたくない。」などと言う。「なんかだるい。」

 

なぬ!?もう私と妻は準備万端なのに!なぜもっと早く言わないの? と、がっかりする、なんてことがある。

 

トイレに行くのも、我慢できない寸前まで我慢している。「あらかじめ」済ませておくなどということがなかなかできないのだ。

 

学校に行く朝、出発するための段取りが身に着くまで、なかなか大変だった。

 

ものすごく眠たいし、普段から食は細いし、食べ終わっても漫画やテレビを見てしまうと集中してしまい準備がままならない。

 

教師を辞めて、朝の時間に余裕ができた私は、彼の朝の時間の使い方を少しずつ整えた。

 

起きる時間、朝ごはん食べ終わる時間、着替えて準備する時間を毎日同じにした。終わってから、テレビや動画を見ていいことにした。

 

準備するものは、名札、帽子、ハンカチ、ティッシュ。靴下もよく吐き忘れ、いざ玄関を出る時に慌てて戻りはいていた。

 

わたしが「ハンカチ持った?名札は?まだ靴下はいてないよ!」などと言ったら、「いっぺんに言われても、よく分からないよ~。」と息子が言う。

 

 そこで私は考えた。朝の準備物「合言葉」を作ろう、と。(アイデアは、何かの本にのっていたものだと思う。)

 

次の日私は息子に「今日から準備する合言葉をつくったよ。『ナハティク』だ。」

「え、何それ?。

 

「ナは、名札、ハはハンカチ、ティは、ティッシュ、クは靴下だよ!」

 

これをやり始めてから、「ナハティク」と言われると、自分で「ナは・・・あ、名札だ!ティは・・・、」と自分で準備を始めるようになった。

 

人間、他人に言われてするのはどうしても気が進まない。自分で動くのが一番だ。

 

 

そこで最近、私は調子に乗り、家に帰ってきてからの段取りについても着手。ランドセルからすぐ出すものについても合言葉にしようと思った。

 

給食セット、水筒、連絡帳、連絡袋、宿題、給食セットをくっつけて・・・。

 

そして「おーい、家に帰ってきたら、『キュスレレシュ』だぞ~!。」

 

 

うーん、これはどうもゴロが悪い・・・。息子も、この片づけははまだ反応イマイチ!

 

息子が風呂からあがったら

 毎日、小1の息子と一緒にお風呂に入っている。

 

ふざけ合い笑い合う。とても楽しい時間だ。

 

少し前までは一緒に湯船につかりながら、あっち向いてホイや、グリンピース(じゃんけん)などをしていた。

 

最近は、それが飽きてきたのか、あまりしなくなった。そもそも暑がりで、湯船にずっと使っているのが好きではない子だ。

 

ご飯を食べた後、テレビや漫画を見て過ごし、私が風呂に入って少したってから息子もお風呂の方に来るというスタイルになった。

 

私と一緒に風呂場から出ることになっているので、後から湯船にざぶんとつかり、急いで体を洗い、一緒に出る。

 

ドライヤーで息子の髪の毛を先に乾かし彼はリビングへ行く。私も髪を乾かし、服を着て、後からリビングへ行く。

 

だいたいいつもこのように進むのだが、私がリビングに行くと、必ず息子は裸のままだった。必ず。

 

私や妻がどんなに言っても、パジャマを着ない。15分、20分経ってもだ。妻に叱られ、ようやくしぶしぶ着る。

 

暑がりだから、着たくないのだろう。また、漫画を読むのを中断したくないという理由もあろう。息子は過集中である。漫画に没頭すると、他者の言葉はなかなか耳に入らない。

 

 

 そこで私はそんな現状からいくつかの方法で息子に着替えをさせてきたが、最近やっている方法を紹介する。いきなり、

 

「第42915回、世界、パジャマ早着替え、選手権~~~!!。」

 

「さあ、今日も始まりました。今回も優勝の大本命は、何と言っても日本代表の○○(息子の名前)くん。今日も絶好調の様子。一方、今大会のライバルは、アメリカ代表、ジョンソン君。世界大会予選で、圧倒的な速さでした。・・・・」

 

と、勝手に架空のパジャマ着替え世界大会の実況を私が創作し、しゃべり出す。すると、息子の表情が一変する。

 

「位置について、よーい、スタート!!」

 

この後も私は実況を続ける。勝負ごとが大好きな息子は、あっという間にパジャマに着替え終わる。そして、ドヤ顔でまた漫画を見始めるのだ。

 

「またもや○○くん、世界チャンピオン、なんという速さ!!」などと、私は調子に乗る・・・こんなやり方で着替えさせ、しばらく続けていた。

 

 

最近、風呂上り後、私が少し遅れて着替えリビングに行くと、パジャマを着ようとしない息子に向かって妻が注意していた。

 

私が妻に「世界選手権、やってみたら?」というと、「うーん、私はちょっとそういうのはね・・・。」と渋る。まあ、それはそうか。

 

そこで私は普段通り架空の選手権を開催すると、息子は10秒で着てしまう。

 

妻もやってみてもいいのに、と思うものの、無理には言えない。

 

 

そんな日が続いていたある日、風呂上り後リビングに行くと、息子がもうパジャマを着て漫画を読んでいるのだ。

 

その次の日も、パジャマを着ていた。

 

私は『ま、まさか・・・?」と思った。そこで、私抜きでパジャマを着ている息子の様子を見ようと早めに、そっとリビングに行った。すると・・・私は見てしまった。

 

 

 

「はい、世界パンツはき選手権~~。はじまりまーーーす!」

 

「え?!」

 

つ、妻もやってる!!!

 

 

 

子育ては、協力が(?)大事だ。息子が風呂上り、裸のまま過ごす姿はもうない。

 

小1の息子を学童に迎えに行くと

 私は小学校の教員をしていたが、最近退職した。

 

新しい仕事は9月から始めたが、だんだん慣れてきて、今いい感じになっている。

 

教員時代はとても忙しく、朝早く仕事に出かけていたので、息子が登校するときに見送れることは全くなかった。

 

転職してからは彼の起床から朝食、登校の様子まで見届けることができる。

 

朝、息子と妻に「いってらっしゃい。」と言うことができる毎日となった。

 

 

一方、就業時間は夕方6時までなので、息子を学童に迎えに行くことは以前より少なくなった。

 

だが、最近慣れてきて、何回か息子を迎えに行けている。

 

 

私は自転車通勤となり、迎えに行くと息子は私の自転車にランドセルをのせて帰ることができるので、学童から家までの歩く足取りが軽い。

 

 

今年の7月から8月、退職を決めて仕事を休んでいるとき、主に私が学童にお迎えに行っていた。7時まで預かってくれる民間の学童だ。

 

 ある日、私が学童にお迎えに行き、彼が2階から下りてくるのを待っていた。

 

しばらくすると、彼が階段をバタバタと下りてきた。そして、私の姿を見て、足早に近づいてきたかと思うと、にやにやしながら、持っていた帽子を私に「バシッ!」と投げてぶつけてきた。

 

「何するんじゃー?!」私がふざけると、受付にいた学童の職員の方たちは大笑い。「忘れ物はない!?」「ないよ!」いつものやりとりをする。

 

帰ろうとすると、息子がはっとした顔をし、何も言わず急いでもと来た2階にかけ上がって行ってしまった。

 

何か忘れ物に気づいたのだろうかと、再び待ったがなかなか戻ってこない。

 

職員の方に伝えると呼び出してくれて、今度はとぼとぼと下りてきた。

 

「どうした?忘れ物を探して見つからなかったか?」と聞くとうなずき、

 

「帽子がない・・・。」

 

「えーーー?!、さっき、お父さんに投げてぶつけたじゃん!お父さん持っているよ!ぶつけたの忘れたの??」と笑いながら言うと、一部始終見ていた学童の職員のみなさん、大爆笑。

 

私は笑いが取れて満足している一方、息子はみんなに笑われ、落ち込んでいる様子・・・。

 

うっかりしていたんですね。帰り道は慰めることに。

 

 

 

 10月になり、私と息子の「忘れ物はない?!」「ないよ!」「本当にない?!」「絶対にない!」「間違いないな?」というやり取りを見せ、学童の職員の方を笑わせることが、再びできるようになった。

 

またも笑いをとり意気揚々と歩いて帰っていると、妻から電話。「ねえねえ、学童から、水筒忘れているって電話があったよ!」「なにーーー!!!?」

 

私のチェックミス。息子を家に連れていき、自転車をとばして学童へ。ウケて調子に乗っているバチが当たったか・・・。