前回の記事で、小1の息子の運動会が雨で延期になったことを書いた。
自分の中でとてもとても見たかったが気持ちに折り合いが付き、月曜日から仕事をした。新しい職場で、先日病院に行くために1日休みをもらってしまったので、さらに休みを取ることはできないだろうと思い、気づいたら仕事に専念していた。
土曜日の運動会が延期になり、火曜日、そして水曜日も雨で延期。ようやく木曜日に運動会が行われた。
そしてその運動会を、
私は見ることができた。
水曜日、職場で仲間とランチを食べている時、それぞれの子どもの運動会がいつだったかの話題になり、他の職員が日曜日に終わっている中私が「明日です。」と言ったら、上司が、
「じゃあ、、、、、、見にっちゃえば?」
「え??」
あ、見に行っていいの?いいの?いいの? やったーー。
じわじわとうれしさがこみ上げた。すぐ妻にメール。
木曜日、午前中だけ休みを取ることになった。なんということだ。
水曜の夜、火曜日も水曜日も雨で待たされた息子は、ようや運動会が近づいていることを意識しているようだった。
小学校の運動会が初めてだから実感がわかないのか、それとも単に彼の性格なのかわからないが、今までまでそれほど興奮していなかった息子。しかしその夜は夕飯を食べながらチェッコリ玉入れの振付を自分から我々に見せてくれ、気持ちの高まりを感じた。
天気も、何度見ても木曜日は曇りの一日。できる。見ることができる。確信して寝た。
当日の朝、延期となった土曜日の朝とくらべ少し早起きだった息子。いよいよ当日だ。私は幸せをかみしめつつ、波の無い海のような落ち着いた気分だった。
平日のため給食を食べるので弁当は無し。我々一家はそれほどバタバタせず、息子はいつものように支度し、ランドセルを持って登校。8時半に開会式だ。「8時頃に家を出ればいいよね?」「そうだね。」と妻と確認する。
校庭に着いたら観客はまだまばら。『来年からもう少し遅く来るようにしよう。いや、平日だから空いているのか?』私たち夫婦も小学生の保護者1年生。新米は何かとよく分からない。兄弟もいて、何年もこの学校に保護者として通っているベテランたちは、きっともっと色々な事を知っているのだろう。
だが、しかし、
私は小学校の教員としては、大ベテラン(だった。辞めたから)。そこからはもう、運動会の運営が気になってしょうがない。これはもう、性(さが)である。
「学校に来てから体育着に着替えて、8時半開会式、時間遅れそう~~。」「万国旗、無いんだな~~準備楽だな~~。」「校庭に子どもがイスもっていかないって、いいな~~。」いろいろな事を考える。教員目線で見てしまう。
事前に配られていた学年だよりに、子どもが競技、演技する場所が書いてある。「えっと、チェッコリ玉入れが、ここ、演技がここ、だから、この辺りにいればいいかな。」今まで作る立場しか知らなかった学年だより運動会号を、保護者として使う。これも私にとって新鮮だ。
開会式が始まる。会場はかなり混んできた。陣取った場所から息子が見えないが動けない。前の子何人かに重なって見えない。その子たちが動くとたまに見える。きっと運動会保護者あるあるなのだろう。
私は、教員として20回運動会の運営側にいた。それが今、教員を辞め保護者としてのみの立場で息子の運動会を見ている。こみ上げる感動が、開会式の「運動会の歌」の合唱で爆発した。
5年間、体育主任で運動会を経験した。その時は開会式の指導もした。表現(踊りや組体操など)の指導も何回も経験した。応援団の担当にも、何回もなった。あのとんでもなく忙しい、でも充実した日々が私の胸中によみがえり、涙が止まらなくなった。
それは、再び教員として運動会を経験することは二度とないという、学校という世界から外に出て眺めた郷愁からの涙だと思う。もう、私は絶対にあの世界には戻らないのだ。
でも、あの時、自分はすべてをかけていた、とも思う。悔いはない。やりきった。これからは、家族のために沢山時間を使うのだ。そして、その息子の運動会を見ている。そんな気持ちも涙に混ざった。
競技、演技が始まり、息子の児童席に行った。後ろから声を掛けるがなかなか振り向かない。恥ずかしいが大声で呼ぶと振り向いた。以外にもとても嬉しそうだった。
一つ目の演技がよく見える場所に移動しようとしたとき、1日曇りの天気予報を裏切るにわか雨が降り、20分以上の児童教室待機があった。校長先生、教頭先生は、さぞ焦っただろう。ようやく開催でき、これだけ保護者観客が集まったのに、1つ目の3年生の表現しかできないでまた延期なんて、考えられない。やはり運営が気になる。
1年生の表現が始まった。息子はいつの間にか背が大きくなっていたのか、背の順で後ろの方だった。開会式でもそうだったが、この時も踊りが見にくい。重なる他の子がいたり、とにかく遠くて見失う。
息子はダンスは得意な方だと思うが、ニコニコしていたが踊りにあまりキレはなかった。夜に聞いたら「恥ずかしかった。」とのこと。なるほど。
二つ目のチェッコリ玉入れは、息子が玉をかごにいれたかはともかく、所属する白組が大量の玉を入れ勝利。親まで嬉しくなるのだな。教員時代も、自分のクラスを勝たせるために作戦を立て、練習をし、勝てたときは本当に嬉しかった。
この日来ることができなかった私の母親に映像を見せる義務を果たすためデジカメの動画機能でたっぷり息子の姿を撮った。母は用事があり来れず残念だろうが、運動会は来年度以降もある。まだチャンスはあるはずだ。
雨の中断で時間的に閉会式は見られず、息子の2つの出番を見て、職場に行くことにした。もう一度児童席に向かい息子をねぎらう。「お父さん帰るよ。」と言うと、「えーー???」と、これまた以外に、とても残念そう。
よかった。見れて本当によかった。私は肌寒い気温の中、ぽかぽかな気持ちで職場に向かった。